少女コレクション序説/澁澤龍彦

小鳥も、犬も、猫も、少女も、みずからは語り出さない受身の存在であればこそ、私たち男にとって限りなくエロティックなのである。(…)女の主体性を女の存在そのもののなかに封じこめ、女のあらゆる言葉を奪い去り、女を一個の物体に近づかしめるほど、ますます男のリビドーが蒼白く活発に燃えあがるというメカニズムは、たぶん、男の性欲の本質的なフェティシスト的、オナニスト的傾向を証明するものにほかなるまい。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~beam/log/whmaid.html
699/フェミニズムの文脈で切り捨てられた部分への憧憬という部分には同意するんだけど、それが目指す所は過去の家父長制ではなくてユングの言う所の「母であり少女であり恋人であり聖女であり娼婦でありetc」な己の心のアニマへの没入だと思うんよ。だからメイド萌えは外界を指向しておらず、館という子宮に閉じこもる。